これは訓練士さんが書いたお話です。
ベルギー国内で行われた犬の訓練競技会でのことです。
私はリンク内で行われている犬たちの動きを見て、驚きを隠せずにいました。
というのも、そこで競い合っている犬たちはドックトレーナーに訓練された犬ではなく、みな飼い主が家庭で訓練した犬ばかりで、すべてオーナーハンドラーなのです。
その技量はどの犬を見ても非常に高く、プロの訓練士である私ですら舌を巻く犬も数多くいたほどです。
そんな驚きに輪をかけて、「これはもうお国柄、文化の違いだな」と、完全に脱帽させられたのがひとりの少女がとった行動でした。
年のころは10歳くらいでしょうか。その少女はリンクサイドでシェルティの仔犬を連れて競技会を真剣に見入っていました。
その仔犬は先ほどからずっと、少女の足元で伏せの姿勢を保ちながらおとなしくしています。
仔犬にしても、まだ2、3ヵ月といったところ。いろんなことに興味いっぱいで、なかなか落ち着かせるのは難しい時期です。
そんな姿を見ただけでも私は、「これがヨーロッパなのだな」と、すでに感心しきり。
ところがそれは序の口だったのです。
リンク内で行われていた競技に、会場がちょっとしたざわめきを見せた時、その仔犬はそのざわめきに反応してスクッと立ち上がったのです。
すると少女はためらいもなくその仔犬を仰向けにひっくり返し、のど輪下あごの部分を両手で地面に押さえつけました。
少女は仔犬に向かってひと言、「アフ(伏せ)」と言って十数秒間、押さえ込み、その後、何事もなかったように仔犬を伏せの状態に戻して競技会の方に目を移しました。
さて、もしこの少女がとった行動を日本人社会の集まりの中で行ったとしたら、周りの人たちはどんな反応を示すでしょう。
「まだ仔犬なんだから、そこまで手厳しくする必要はないじゃない」とか、
「子供のくせにずいぶん乱暴なことをする子だな」とか、
おおむね否定的に見る人が多いのではないでしょうか。
ここが日本とヨーロッパでの、犬に対する接し方の根本的な違いです。
「仔犬なんだからいいじゃない」ではなく、仔犬であろうが赤ちゃんであろうが、犬にはきちんと一線を引いてしつけをしなくてはならない。
それがヨーロッパにおける、犬と人間の関係です。
少女が取った行動は、まさに母犬が仔犬をしつける時のものと同じ。
母犬にじゃれてまとわりつき、勢いあまって咬もうものなら母犬は仔犬を引っくり返してのど輪をくわえ込みねじ伏せます。
こうすることで、「咬んではいけない」ということを教育するのです。
犬が腹部をさらけ出すのは服従を示す行動です。
それを強制的に行って、急所であるのど輪をくわえ込んで地面に押しつける。
こうすることで、上位のものが下位のものに対する服従性を育んでいくのです。
ヨーロッパでは、こうした「母犬教育」を飼い主が代わって行います。
またそれは、犬を飼う家庭においては親が子供にしつける教育の一環になっているのです。
それにしてもベルギーで見た少女の犬の御し方はあまりにも見事でした。
まさにヨーロッパの犬文化の程度の高さを意外なところで垣問見て、私は感動すら覚えたほどです。
だからこそ、ヨーロッパにはプロの職業訓練士と呼ばれる人はほとんどいません。
そもそも、犬のしつけにお金を払うことなどナンセンス。他人の手を借りずとも、自分の「子供」のことは自分の家庭の中でしつけていく習慣が古くから根づいているのです。
一方、アメリカにおける犬と人間の関係はヨーロッパとは少し違うようです。
特に都市に暮らす人の場合、犬はまずドックトレーナーに預けられ、そこで基本的なしつけを身につけ、その上で家庭に引き取られるというケースも日本同様あるようです。
これには、アメリカは訴訟国家であるという背景があり、犬を飼うことひとつとっても、慎重にならざるを得ないという事情があります。
咬みつく、吠える、といったことによって、肉体的あるいは精神的苦痛を受けた時、アメリカでは多くの場合、訴訟に発展していきます。
事実そうしたことで財産をすべて持っていかれた愛大家もいるほどです。
つまり彼らにとっては、「未完成な犬」を迎え入れることは、生活をも脅かす大きなリスクになるという考え方が根づいているのです。
そのためアメリカにおけるドックトレーナーの数はきわめて多く、「ドッグビジネス」の市場で動くお金も莫大なものがあるといわれています。
とはいえ、これは必ずしも悪いことではありません。
確かに一番手のかかる社会化期の「育児の放棄」といってしまえばそれまでですが、少なくとも犬を飼うことで「人に迷惑をかけたくない」という気持ちがあるわけですから、それもひとつのお国事情に伴った「愛のカタチ」ということがいえるでしょう。
そして日本の場合はいい意味でいうと、犬に対して100パーセントの愛情を注ぐ国。
逆にきつい言い方をするなら、犬と人間の関係が非常に甘くて緩い国といえます。
そしてそれは、意外なところに意外な影を落としているのです。
日本の動物病院の獣医師たちの手を見ると、多くの人が傷をつくっています。
それはほとんどが、診察に来た犬に咬みつかれたものなのです。
診察中に注射を打とうとして咬みつかれた。
あるいは歯の具合を見ている最中に咬みつかれたなどケースはさまざまあるようですが、誰しも一度や二度はそうした経験をしています。
もしこれがアメリカであったなら、医師は激怒し、「いったいあなたは、犬にどんなしつけをしているんだ!」と、その飼い主を相手取って即刻訴訟を起こすことは間違いないでしょう。
「動物病院の獣医師が、患者である犬に咬みつかれたといって訴訟を起こすなんて、いくらなんでも大げさすぎる!」と思うのではないでしょうか。
事実、こうしたケースで日本の動物病院の獣医師が訴訟を起こしたというケースは、これまでのところ私も耳にしたことはありません。
つまり、「お客さん」である犬と飼い主に対しては「文句が言えない」、あるいは「よくあること」として済ませてしまっているのが今の日本の実情でしょう。
しかし、こうしたところに日本の犬の「しつけ事情」の本質があると私は思うのです。
そしてそれは、改めなくてはならないことだとも思っています。
いかなる状況であったとしても、人を咬むということは、飼い主の責任において防がなくてはなりません。
それは動物病院の獣医師であろうが、一般の人であろうが同じこと。
やってはならないことは責任を持ってしつけることが犬を飼う上での大前提なのです。
ここ最近、犬の立ち入りが禁止されている公園が増えています。立ち入りはできても、ほとんどの公園ではリードを外すことは厳禁です。
またどれだけしつけの行き届いた犬であっても、一般道をノーリードで歩かせていればおおむね、「常識はずれ」と見られるのではないでしょうか。
なぜなら、犬が公共の場に立ち入れば、「必ず何らかのトラブルを引き起こすから」という考えを持つ人がいるからです。
しかし、そうした人を一概に責めるわけにはいきません。
人に向かって吠え立てる、咬みつく、あるいは糞を持ち帰らないなど、犬を疎外する理由はさまざまでしょう。
事実、そうしたトラブルが後を絶たないからこそ、そうした規制が生まれてくるのです。
その事実をまず、愛犬家の方が心に留めるべきでしょう。
いずれにせよ、犬には罪はありません。
きちんとしたしつけを行わない、あるいはルールを守らない、そうした飼い主がいる以上、残念ながらこれからも犬の居場所はどんどん少なくなってしまいます。
ベルギーの街中には、とても日本では考えられないような光景がありました。
街のあちらこちらを、大型犬がノーリードで飼い主の後をくっついて歩いています。
それは、バスに乗っても電車に乗っても同じこと。
犬は飼い主の足元にピタリとくっついて伏せています。
また、そんな様子を珍しがる人は誰もいません。
感心して眺めている私に、隣に座った紳士が、「そんなこと、ここでは当たり前ですよ」とばかりに微笑みかけてきます。
正しい「しつけ」が、犬に自由を与えている!
そんなことをあらためて実感した、ベルギーでの一日でした。
『訓練犬がくれた小さな奇跡』藤井聡 著より引用