『古来より様々な宗教家は、犬に魂はないゆえに天国にはいけない。』
人間と同等の扱いはありえないという風潮があったようです。
ある日、私はたまたま風変わりな猟大数頭を連れた男性に出会いました。
彼はその珍しい犬種の由来について語り、ポーチに置いてある木製の揺り椅子に私を座らせ、ビールを勧めました。
彼は家のとなりにある小さなバプテスト教会の牧師でした。
ソロモンといういかにも聖職者にふさわしい名前の持ち主だったが、あいにく姓のほうは覚えていません。
おしゃべりのあいだに、彼はこう言いいました。
「この子たちは天国でもひときわハンサムな犬になるでしょう!」
そこで私は訊ねました。
「ではあなたは牧師として、天国にも犬がいると信じているのですね?」
ソロモンはおだやかな笑顔を浮かべ、説教者独特の歌うような調子で話しはじめました。
「いいですか、魂は人間にしかない、人間のみが天国にゆけると考えるのは、まさにお
ごりなのです。
私たちが特別なのは、たんに私たちが後ろ足で立ち、後ろ足で歩けるからでしょうか?
私たちの口が犬の口よりも主の耳許に近づけるのは、たんに犬は前足を地面から離すことができず、私たちにはそれができるからでしょうか?
私たちに特別な救いがあたえられ、私たちにのみ死後に天国が許されるのは、たんに私たちが尻尾を振るかわりに舌を動かせるからでしょうか?
私はそうは思いません。犬が善良であり、犬としてできるおこないをなしとげ、忠誠をつくすなら、犬が天国にいけないわけはないのです。
それだけではありません。全能なる神が、犬のいない場所を天国として私たちに用意するでしょうか?
そんなことを、なさるわけがない!
天国に犬がいないのなら、私は天国にゆきたくありません。
そう、犬はさいわいなるものです。
天国が、さいわいなるもののための場所だとすれば、天国の門の向こうには、人間以上に大勢の犬たちがいるにちがいありません。」
ソロモンの話は、聖書や教会の教義にもとづいたものではありません。
彼は、善良なる人に犬が連れ添うのを神は許すはずだという、たしかな確信と信念をもとに語ったのです。
このような見方をする人たちは多いのです。
『宝島』などの小説で有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンもその一人だ。
彼はこう言っています。
「犬が天国にいけないって? そんな馬鹿な。犬はわれわれの誰よりも先に天国にいっているよ」
私自身(スタンレー・コレン)の考えは、ソロモンに近い。
犬を愛する者にとって、いかなる場所であろうと、犬が立ち入りを禁止されているところは、天国”になりえない。
愛にあふれる神が、人の友である犬を永遠に引き離したりするはずがない。
天国に犬がいないとしたら、そこは私にとっての天国ではない。
『犬があなたをこう変える』スタンレー・コレン著 より引用
ワタシは、熱心な信仰心は持っていませんが、罪なきものはすべて天国のような場所にいけると思っています。
そして、そこには多分ワタシより先に行っている我が家の犬や小鳥が待っていてくれていると信じてます。
一番の問題は、『自分は天国に行けるのか?』ということですが。。。
今朝ゴミ箱が荒らされてました。
この程度なら神様は大目に見てくれるでしょうか?
私たちにたくさんの笑顔や癒しを
与えてくれる犬たちに
見て下さった方が
楽しい一日を過ごせますように(^o^)/